仕事は麻雀(勝負事)だ!
サイバーエージェントの藤田さんの『仕事が麻雀で麻雀が仕事』を読んで、次の言葉が叩き込まれた。
- 言い訳をするな、何が起きても自分のせい
(言い訳をする経営者の会社で働きたいか?) - 姿勢
- 使えるものは全部使ってでも勝て、やり方の拘りなどそれ以外は甘え
- 食えない奴になれ(お世辞を言われても乗せられず、脅かされてもビビらない)
- 人生は配牌。人生は配牌を手にした日から、どこまで行けるか、死ぬまでの戦い
- 長い人生の中で正しいかどうか分からなくても、いま決断できなければチャンスをものにできない瞬間には決断しなければならない
- ここが勝負と自分が決めた場面では、暴牌と言われようが、叩ききって勝負しなければならない
- 長い目で見ると、調子が良いときに情に流されたり、しがらみに負けていると誰のためにもならない
- オカルトはその人だけのものであり、真似できない([だから自分のオカルトを作れ])
- 礼儀正しさやマナーは大事だが、舐められてはいけない
- 自分のタイミングで勝負しない(ここぞというタイミングでは、成果は何倍にも跳ね上がる。そして、いい時機というのは自力で作れるものではない)
- 何かを気にしたり執着したりするとツキを落とす。それでも勝つ方法を考える
- 99.5%までは大して差がつかない
- 力をつけたあとに自分らしさを取り戻す。そして磨きをかける
forユニークさ。→[全力で最大限自由にやり、受け入れられて成功したものがユニークさ] - 結果が全てと覚悟を決めれば、甘さが消え、集中力が高まり、結果を出すためならあらゆる努力を惜しまなくなる
- たらればは覚悟が足りないと言わざるを得ない
- 個性や容姿の有利さはドラ
- 時に目立とうとする、意識された方が強い
- 仕事も麻雀もバランスを崩しては回復して前進するもの
- 気合は大事、粘りにつながる
- 天使のようにしたたかに、悪魔のように繊細に
- ORをはねのけ、ANDの才能を活かす(〇〇の中に〇〇を見出す)
- トップダウンで決断を下す。ただし、私利私欲があってはいけない
[極限状態で人々が求めるのは正しさではなく達成] - これほどの努力を人は運という
- 人は、自分にはこの道しかないと覚悟を決めた瞬間から、ものすごい力を発揮できるものなのです
仕事への取り組み姿勢、勝負へのこだわり、甘えの排除、絶対に勝つためにどこまでも想定して考える、などを再確認できた。
何より重要な認識は、「仕事(ビジネス)はある程度ルールのあるゲーム(勝負事)である」という点。僕の考える社会貢献のイメージは、理想は描いているものの勝ちへのこだわりがなく片手落ちなものだった。あらゆる理想的な考えや言葉も、勝ってからしか言えないのだ。敗者の言葉は意味論上は有用でも効能上無価値だ。これは仕事に対する姿勢を変える。
一番理想的なのは、理想を語って勝つことを確信し、そして勝つことだ。
そして、納得して腹落ちした形で、この道しかない、と覚悟を決める生き方を、いち早く手に入れ、そう生き、そう発信して認められることだ。
家族に見る、組織の評価制度の大切さ
年末、久しぶりに家族のところに帰って2日ばかりをともにし、組織における評価制度の重要性を痛感した。
評価制度の機能的役割については、大別すると下記の2つがあると思う。
- 報酬決定
- 推奨する行動の規範
一つは言わずもがな報酬決定である。そしてもう一つは、その組織が推奨する行動の規範としての機能である。この2つ目が極めて重要だと痛感したのだ。
僕の家族は非常にユニークで面白い人たちだが、親が公務員(教員)だったり兄弟が社会人経験があまりなかったりで、いわゆる「気を遣う」「人の為になる意識」「相手の気持ちを考えて言動をコントロールする」などのヒューマンスキル的部分が弱いのだ。
当然家族というのは社交性がよっぽど高くない限り閉じた組織なので、こういったスキルがその組織で評価されないと(多くの場合それは親によってなされる)、成員が外部コミュニティー(会社や友人コミュニティーなど)によってどんなにそのスキルを獲得していても、それが組織を良くする価値に転化されていかない。これは家族でなくとも、一般的な企業などの組織にも当てはまる話だ。
もちろん、多大なエネルギーを注ぎ込めば変えていける可能性はある。が、ロスも大きい。
こういった理由から、その組織を健全に保ち、よりレベルが高く円滑で居心地の良いものにするために、奨励される行動規範を広く深いものとして明文化しておく重要性を改めて認識した。
生き方を経営する時代
「年収が低い方が家事するの?」
https://www.businessinsider.jp/post-177178
そんな記事がまとめられている。共働きの夫婦の本音が色んなケースでまとめられててリアルだ。
その中で上手く行ってるカップルのインタビューで、その秘訣として家事や子育ての一部をアウトソースしたり、時短家具を導入することで、自分たちがやらなくて良いことを効率的に外出しし、ストレスを減らしたり自分たちの時間を創出していることが挙げられている。
ここで重要なのは、自分たちがやるべきことを明確化し、それだけに集中するためにその他のことを社会全体でシェアして解決していく姿勢だと思う。そのシェアの一つの形がいわゆる有料サービスとしてのアウトソースだし、近所のパパママで助け合ったり時間のある両親に助けを借りる、などでも良い。
最近読んだ『10年後の仕事図鑑』という本にも、これに近しい生き方のことが書いてある。
例えば、(うろ覚えで間違ってたら恐縮だが)落合さんは予定については完全にGoogle任せで、登録された予定からGoogleがリマインドしてくるものに従ってスケジュールをこなしている(Googleにアウトソース)し、逆に何を研究していくかの方針決定や具体的な研究を考えるということには全リソースを割くという。Googleはシステムだが、これが外的労働力によってアウトソースされる場合もあり、しかも社会全体で専門化×サービス化が進むと、専門性や機能を社会でシェアしながら、自分もその一端への価値の提供を担っていくという社会の在り方になっていく。
これは生きるということにおいて、何を捨て、何をアウトソースし、何にこだわりリソースを投下集中するのか、という経営視点そのものではないか。そういう意味で、これからは各人が生き方を経営していく時代になっていくといえよう。いや、もうなっている。
そしてこの選択の在り方が、生存戦略上という手段ではなく、私哲学(価値観)の追求により各人それぞれ異なっている状態、つまり本質的な個性の表れとなっているという世界が理想というのが僕の私哲学だ。
この話はまた今度。
『ハッピーエンド』
表現が、この前久々にパラパラと読んだ異邦人のような文学的淡々さだった。淡々とした描写の中だからこそ際立つそれぞれの思いと解釈のされようの不一致や違和感。が似てる。通常の意味で面白いとは決して言えないこの映像に妙に残るこの感覚がこの作品の良さなのか。わからないがこの監督(ハネケ)の作品はもっと見てみたくなった。やっぱりフランス映画はなかなかクセがある。他のレビューにあった、巨匠の映像に対するアンテナの高さというバイアス的観点で見ると、また違った秀逸さが浮かび上がってくる。
最近の自分の変化・成長の方向性は、おそらく正しいと考えられるものへの集約、色々な価値観の統合という方向に向かってた気がするが、ある意味この作品のメタ的感想は、そういった 世の中的/時間的 流れに対する素朴な疑いを取り戻してくれる良さと怖さを、芸術作品は持ち得るということなのではないか、というものだ。
ベット(bet)することの価値と勝負師の感性
今日、大学来の親友と名古屋の伏見で飲んでいた。彼と僕の仲の良さは、どちらも徹底した本質論者であることだと思う。
そんな彼と話していて今日強く感じたのはベット(掛け金を上乗せすること)することの重要性。
彼は徹底して自分の価値観に従って生き、パチプロ→証券会社のトレーダー→個人トレーダーで生計を立てているユニークな存在である。
そんな彼が、トレードの世界で生きていながら感じる一流トレーダーのすごさとして、ここぞという勝負のタイミングで、自分の持つ全財産の50%や、ときには100%をかける勝負勘の強さと賭け金の大きさを挙げている。技術は3年そこらである程度の域には達するから、そこから先は価値観だったり信念だったり勝負師としての度量の大きさだというのだ。彼は傍から見ると十分な成果を収めているが、そこが自分と一流トレーダーを分け隔てる概念だと自分を分析している。
ただ僕も直感的にそれは正しいと思うのである。それは、価値は偏在し、かつ刻一刻と移ろうが故に、ここぞという瞬間に時流を読み、価値の流れに乗る力こそが究極的には求められる能力だと思うからである。
少し脱線するが、麻雀の強い後輩(新人)が入ってきた。当然彼は仕事経験はまるでないのでそういう意味では無価値だ。ただ、彼の経験から学ぶべき箇所は豊富で、彼は麻雀においての一本筋の通った哲学を持っている。その哲学の一つとして、上記の勝負所で引かない強さを挙げている。ここぞというときに自分を信じる強さだ。逆に言うと、そういうときのために自分の感覚や直感、価値観を信じ磨き上げるための、日常に対する姿勢や取り組みへの重み付け、価値観である。
ベットする力というのは、レバレッジ50に対して1000くらいの可能性と価値を見出し信じることに他ならない。失っても良いと信じる心(=蓋然性への確信)や、額面上の価値ではなく本質的な価値を信じることの価値自体にbetする感覚、というのが本質的なもののように思う。逆にそうでなければ、先程の全資産の50%~100%をかける心境になんかなれないと思う。逆説的に、その心理に至った者だけが、とんでもない勝負のステージに足を踏み入れられるのだと思う。(俗に言うジャンプである)
そういった話を受けて思ったことがある。 最近読んだ、堀紘一さんの『「もう一度会いたい」と思われる人になれ!』という本に、人脈貯金はできるだけ使いたくない、という彼の美学の話があった。
できるだけ、紹介することはあっても、紹介をお願いすることは極力避ける、という話である。彼はBCGを立ち上げた時と、DIを起業したときだけ、その人脈貯金を使ったと言っていた。
これは一つの美学というか個性の在り方で、基本的にはそうだと思う一方で、僕は違う考え方を持っている。
上述のベットの考え方のように、失うことを恐れて人脈貯金を使わないのではなく、それを使いながらより大きな価値を提供できる可能性を信じて、そこにbetしながら人脈貯金を使って、むしろ人脈貯金資産を広げる手もあるのではないか、ということである。逆に、そこで途絶えてしまったらそれまでの関係、と割り切る力でもある。
堀さんはいろんな観点でものを論じているし、非常に合理的な話を展開はするが、一方でどうしようもない個性を重視する人でもある。その彼の感覚を自分に適用したとき、僕の個性はやはりどこまでいっても守りではないな、と思うのである。
故に人間関係でも上記のような個性の発揮の仕方を確立したいと思う。もちろん、人によって行き着く在り方は違うのであろう。
最後少し自分の話に寄ってしまったが、総論で学んだことは、自分の感性や価値観は信じ切って信じ抜いて意地でも変えないこと。逆に磨きをかけること。逆にいうとそこ以外は徹底して環境に合わせて自分を変えていけること。これが本質的な強さなのではないかと思った。
サッカー日本代表の勇姿に勇気をもらった
今日のサッカー日本代表の一戦には勇気をもらった
セネガルに対して2-2
勝ったわけじゃないが、前後半に渡って集中が続いていた
攻守に渡って攻めの姿勢を貫いていた
守備も攻めの守備
常に次のワンプレーを狙う気迫と集中
気迫が違う
根性だけではいけない
気迫がワンプレーの速さ、精度を上げさせ変えさせている
仕事においても求められるのはこれなのではないか
ただ頑張ることを求める根性論ではなく、可能性を描き、やると決めて断行する力
絵を描いたら半ば妄想して盲信して断行する気迫
特に心理が自分にも顧客にも非常に影響を与える営業のフロントには強く求められるものだ
そもそもスポーツとはメンタルであるなかで、より組織としてその影響がチームに広がる姿からは予想外に感じ学べることが多かった
フィールドは違いながらも今日の日本戦には熱く感じるものがあった
感謝したい
最後に、W杯前のパラグアイ戦の時に続き、流れを変える得点を決めた乾と、今日相当”見え”ながらキレキレでプレーしていた柴崎、果敢な姿勢を見せ続けた長友、長谷部に祝福を送りたい