俺も禿げたいブログ

孫正義氏の名言に触発された、将来禿げることが約束されたサラリーマンの日々の叫び

ベット(bet)することの価値と勝負師の感性

今日、大学来の親友と名古屋の伏見で飲んでいた。彼と僕の仲の良さは、どちらも徹底した本質論者であることだと思う。

そんな彼と話していて今日強く感じたのはベット(掛け金を上乗せすること)することの重要性。

彼は徹底して自分の価値観に従って生き、パチプロ→証券会社のトレーダー→個人トレーダーで生計を立てているユニークな存在である。

そんな彼が、トレードの世界で生きていながら感じる一流トレーダーのすごさとして、ここぞという勝負のタイミングで、自分の持つ全財産の50%や、ときには100%をかける勝負勘の強さと賭け金の大きさを挙げている。技術は3年そこらである程度の域には達するから、そこから先は価値観だったり信念だったり勝負師としての度量の大きさだというのだ。彼は傍から見ると十分な成果を収めているが、そこが自分と一流トレーダーを分け隔てる概念だと自分を分析している。

ただ僕も直感的にそれは正しいと思うのである。それは、価値は偏在し、かつ刻一刻と移ろうが故に、ここぞという瞬間に時流を読み、価値の流れに乗る力こそが究極的には求められる能力だと思うからである。

少し脱線するが、麻雀の強い後輩(新人)が入ってきた。当然彼は仕事経験はまるでないのでそういう意味では無価値だ。ただ、彼の経験から学ぶべき箇所は豊富で、彼は麻雀においての一本筋の通った哲学を持っている。その哲学の一つとして、上記の勝負所で引かない強さを挙げている。ここぞというときに自分を信じる強さだ。逆に言うと、そういうときのために自分の感覚や直感、価値観を信じ磨き上げるための、日常に対する姿勢や取り組みへの重み付け、価値観である。

ベットする力というのは、レバレッジ50に対して1000くらいの可能性と価値を見出し信じることに他ならない。失っても良いと信じる心(=蓋然性への確信)や、額面上の価値ではなく本質的な価値を信じることの価値自体にbetする感覚、というのが本質的なもののように思う。逆にそうでなければ、先程の全資産の50%~100%をかける心境になんかなれないと思う。逆説的に、その心理に至った者だけが、とんでもない勝負のステージに足を踏み入れられるのだと思う。(俗に言うジャンプである)

そういった話を受けて思ったことがある。 最近読んだ、堀紘一さんの『「もう一度会いたい」と思われる人になれ!』という本に、人脈貯金はできるだけ使いたくない、という彼の美学の話があった。

 できるだけ、紹介することはあっても、紹介をお願いすることは極力避ける、という話である。彼はBCGを立ち上げた時と、DIを起業したときだけ、その人脈貯金を使ったと言っていた。

これは一つの美学というか個性の在り方で、基本的にはそうだと思う一方で、僕は違う考え方を持っている。

上述のベットの考え方のように、失うことを恐れて人脈貯金を使わないのではなく、それを使いながらより大きな価値を提供できる可能性を信じて、そこにbetしながら人脈貯金を使って、むしろ人脈貯金資産を広げる手もあるのではないか、ということである。逆に、そこで途絶えてしまったらそれまでの関係、と割り切る力でもある。

堀さんはいろんな観点でものを論じているし、非常に合理的な話を展開はするが、一方でどうしようもない個性を重視する人でもある。その彼の感覚を自分に適用したとき、僕の個性はやはりどこまでいっても守りではないな、と思うのである。

故に人間関係でも上記のような個性の発揮の仕方を確立したいと思う。もちろん、人によって行き着く在り方は違うのであろう。

最後少し自分の話に寄ってしまったが、総論で学んだことは、自分の感性や価値観は信じ切って信じ抜いて意地でも変えないこと。逆に磨きをかけること。逆にいうとそこ以外は徹底して環境に合わせて自分を変えていけること。これが本質的な強さなのではないかと思った。